発達障害は、ダメですか??? 世間のイメージ

今日、長いこと「一緒に遊ぼう」と話していた新しいお友達と、やっと初めてPlay dateを実現できた。

彼女とは、入園予定の幼稚園の親子の会で出会って、境遇が似ていたこともあってママ友達としてお付き合いをしていけることが楽しみだったから、今日は本当に嬉しかった。

私は息子の自閉症について、近しい人々や濃いお付き合いを願う存在の人々にはオープンにしたい考え。  だから彼女にも、出会って連絡先を交換し合って メールでやり取りする中で サクッと伝えてある。  彼女の友達にも自閉症を持つ子のママがいるそうで、そんな話も交わしてきた。

 

今日初めて自宅に招いて、お互いの子供を遊ばせる機会を得たのだけれど、ママ友は息子が想像よりも 自閉症が軽そうだと、誤診ではないか?とおどろいていた。

それはそれで、良いけれど、誤診ではないの?? の会話の流れで

「だって、嫌じゃないですか?もしも自閉症ではなかったとしたら、そんな障がい者のレッテルを張られてしまうなんて。。。」

と 息子を不憫に思っていた様子。

障がい者って、そんなにマイナスなイメージがあるの??? 良くないことのレッテルになってしまうの?????

というのが私の疑問。

 

生まれ持って与えられた人生の課題のようなものだと私は考えているので、障害があることが イコール 良くないこと  という風な考え方に 非常に違和感を覚えた。

個人の考え、思考の自由ではあるけれど、強い心で

「障害があるということは、悪いことなんかではないよ。恥ずかしくもないし、残念でもない。 人一倍 頑張りが必要な部分があるのは事実でも、決して悪いことではない!!!」

と、自分の意見を発言することはできなかった。

 

彼女なりに私たち親子のことを気遣って、思いやってかけてくれたであろう言葉を 跳ね返せなかった私。

 

でも、心の中で

世間の(とりわけ日本の)感覚の大半って、まだまだ そんなものなのかもしれないな。。。。

とぼんやり思いながら、憤りに似た感情と、「ならば どうしたらその 良くない世間一般の考え方を、意識を変えていけるのだろうか?」と心の中でぐるぐる思いがめぐっている。

 

世間の意識が変われば、もっと人権が守られる社会になると思うんだが、なかなか 古くからこびりついた 差別 偏見 は消えない。

 

いろいろな 命があって あたり前なのに。

健常者であることに越したことはないけれど、私たち命は、やっぱり自然の一部であって与えられるものだから、自分でえらべるものでもなし 生まれつきだったり 事故であったり、どうしようもない理由で健常者として生きられない人生を与えられたとしても、それでもかけがえのない 命である。

 

悪いことをしているわけではないので、

 

このフレーズを多用される モントリオール総領事館のスタッフさんがいらっしゃったのを思い出した。

息子の日本国籍を取得するための手続きをカナダでしていた時、よく電話で書類に関する質問などに答えていただいて、本当にお世話になった方だけど。抑揚の少ない事務的かつ融通が利かない風な お堅い感じの声が、初めは苦手で ちょっと怖いなと思っていたのだけれど、未婚で日本人がカナダ人との間の子を出産、という私のケースを扱うというややこしい書類に関するやりとりで、

なにも 悪いことをしているわけではないので。

と 彼の冷静な口調で 何度も何度も言われるうちに

「この方、このフレーズが口癖になってる???」

とか気になりだして、いつしか 冷たくてお堅いイメージしか持てなかった電話の相手が、私をとっても励ましてくれている存在に変わっていった。

 

「なにも 悪いことをしているわけではないので、」

 

そうだよね!!!!!ですよね!!!!!

って、心を励ましてくださったその声。

 

障害があることだって、

何も 悪いことをしているわけではないので。

 

少しでも多くの人がそのことを理解してくれる社会に世界規模でなっていってほしいと願って止まない。

息子の動画依存を断つ!!!

先日の発達検査で 8か月の遅れを指摘されてしまった息子。

今まで親子教室で私たち親子を見守ってきてくれていた 信頼している先生にお願いしたから、先生のアドバイスや「もっとできそうなんだけど、、、生活面の改善はできないものか?」といった表情を 素直にうけいれられた。

 

そして、発達検査の翌日から 自室にあったパソコンを「壊れてしまった、ママがコーヒーをこぼしてしまったの。。。」 ということにして片づけてしまった。

 

朝起きて一番に

「動画見たい、OOOを見る」

と言う息子。嫌だなと思いながらも家事を進めるために 息子のお守りを任せたくて 仕方なく希望の動画を見せてしまってきた私。   猛反省。

 

怒って癇癪を起すかもしれない と思っていたけれど、意外にも息子はすんなりと受け入れてくれて、おもちゃ箱から遊びたいおもちゃをもってきては 遊びだして、部屋はものすごい勢いで散らかっていくけれど、鼻歌を歌ったりしながら ご機嫌に過ごしている息子を見て、

「もっと早く動画を断てばよかった。。。。。」

と反省。

 

動画に注意をとられない分、ご飯が並べばテーブルに座っていてくれるし (でもおもちゃで遊びながらの食事にはなってしまうが) 会話も増えた!! 

ただ、家事全般、息子と遊んでは家事をして、の繰り返しなのでなかなか進まず、夕飯の始まりが遅くなったり、私の気力が途切れたりもする。

 

それでも、動画に支配されない生活は、すごくいい!!!!!

 

テレビの子供向け番組に興味がない息子。

自室にテレビはないけれど、リビングにあるテレビで時々映画を観たりするくらい。

 

息子が赤ちゃんの頃から おかあさんといっしょ でうたのお兄さんを担当していた 横山 だいすけお兄さんが 今日 3月30日、新しいお兄さんと一緒に出演して交代になるみたい。

 

今日くらいは その歴史を見届けたいな。。。。

(だいすけお兄さん、劇団四季に所属していたこともあり、高校生のころからうたのおにいさんになることを夢見ていた という経歴がすごく好きなんだよね。)

 

息子の面白い日本語

今日、なんかの拍子にちょっとあきらめざるを得ない出来事があって、

 

「まあ、しょうがないか。」

と私が息子に言うと、

「しょうが ある!」

 

と仕方なくないと表現した息子。

反意語なんかが まだまだきちんと話せないから ダイレクトに あるーない を使い分けるだけになっちゃっていて、かわいくて笑ってしまった。

 

これまでの子育て、私が英語で話しかけることを徹底し、動画や映画もほぼ英語のものを見せてきたので、今の息子の言語能力は 英語80% 日本語 20% というバランスになってしまっている。

このことに関して、先日の発達検査をしてくれた先生が

「幼稚園が始まって、先生やお友達に自分が伝えたいことを伝えられないとなると、、、、、大変じゃないかな?」

と 懸念されていた。

病院の発達小児科のドクターは

「2言語というのは とても いいことだと思います。最初は幼稚園で 困惑するかもしれませんが、環境の違いですから。次第に慣れていくものです。」

と 心配ゼロ。

 

もう入園がすぐそこ。

今更だけど、日本語強化のため、私も日本語で接する時間を増やすことに。

子供の吸収は 本当に早く、(それでも頭の中はやや混乱しているのかもしれないけれど) 私に日本語で答えることも増えた。

 

お茶をむぎちゃでなく私の緑茶をほしがった息子に ばあばが麦茶を渡そうとしたところ

 

「それ~??」

 

と不満げにしたのにも 大笑い。

これ それ あっち こっち

そういう使い分けもまだ間違えることが多いけれど、着実に正確な言葉の使い方に成長している。

 

私の息子への英語すりこみの目標は、そもそも子父と息子が 少しでも直に意思疎通をとれるようにという願いだけなので、 息子の負担を思えば もう英語へのこだわりは捨ててもいいのかもしれないな。。。

 

Skypeもめったに通じないし、今年こそ来日って言っていたのに 虫歯の治療に忙しく高額支払いがあって。。。。と来日は消えたし。。。。

欲を言えば 息子の入園式に一緒に参加したかったんだけどな。。。。

 

そんな 子父との距離感でも、息子は子父の写真を見れば

「パパ!!」

と喜ぶし、Skypeが通じたりした日には もう大興奮。

いつか 再会させてあげたい。

息子の発達の遅れ 8か月。。。

療育の親子教室でお世話になっている施設の先生に個別面談をお願いして 初めて受けた 発達検査。

積み木を指示通りに積めるか? とか イラストの表情を理解できているか? 自分でマルや三角を描けるか?  などなど 30分近いテストを息子が受け、(私も横で見守り、言葉が通じない部分を通訳) なんとかテストの問題をすべて終え、先生から伝えられた結果が

 

 

今、3歳8か月ではありますけど、発達のレベルとしては、、、、、、3歳くらい。

おおよそ8か月の遅れがあって、発達はちょっとゆっくりかな。。。

 

というもの。。。。。

 

もう 息子に関しては 産むと決めた時から 何があろうとまるっと受け止めると決めていて、いろいろあっても その都度受け止めてきたし、いちいち落ち込んだりしている時間もなかったのだけれど、  今回はなんだか ショックを受けてしまった私。

 

もう日々ただただ慌ただしくて、いちいち自分の感情に向き合ってる暇はないんだけれど、だからなのか? 久しぶりにどかっと高熱が出て丸1日寝込んでしまいました。。。

 

今、やっと日常をこなせるように回復したので また検査のことも記録しようと思う。

熱の寒気のあとの めまいが出ていた時間、家事をやっていても ちょいちょい手元が狂ったり どうしようもないミスを連発したり、お酒なんて入っていないのに酔っ払いみたいな動きになってしまった。

 

ああ~!!いつも通りに動けるのって 本当にありがたい!!!  朝1のコーヒーがおいしく飲めるのって、幸せ!!!!

息子の急な発熱 参ってる私に攻撃する母

昨夜7時頃、突然寒がり出した息子。あれよあれよという間に39℃もの高熱。  日中食欲がいつもよりない以外は 変わったところがなかったのに、急な発熱。

 

お風呂はやめて、急いで布団に。

疲れていただろうし、熱でだるいのだろう、こてんと眠り 真っ赤なほっぺで息をフーフーしながら寝付いた息子。

夜中に何度か目を覚まし、お茶を飲んでまた眠り、朝になるとなかなか目が覚めない私を すっかり熱が下がった息子が起こしてくれた。

とりあえず、熱がもう下がってよかった。元気も食欲も回復。

 

そこまではよかった。

お昼過ぎから 有り余る元気で「アピタに行く!!!!」と言ってきかない。お目当ての パーシーのプラレールの電車がどうしても今日買いたいという。

お金ないから ママがお仕事見つけるまで、お誕生日まで待ってね

という説明さえもはねのける。

しかたなく アピタにでかける。一目散に パーシーの売り場へ向かい、品物を手に取り

「これこれ!!!  これを買う!!」

と大張り切りの息子。

お金が足りないから、やっぱり無理だね。

と財布の800円を数えながら説得すると、大声で

「うぎゃ~~~!!!!!」

と叫んで地団太をふんだ。

残念だったね、もう少し時間がたてば これを買えるから、待っていてね。

 

ようやく納得して、がっかりと肩を落として帰宅。

帰宅途中、マクドナルドのハッピーセットを買い自宅にもどる。その道中、耳をしきりに触りながら痛い痛いと泣きべそをかきだした息子。なんだか熱も上がってきている感じ。

中耳炎かもしれない。  休日の当番医を調べなくちゃ。

と思いながら自宅に戻る。   たまたま洗濯物を取り込むために外にいた母が、息子に声をかけるものの、体調も悪く 機嫌も悪い息子は 母に愛想を振りまかないでいた。  なだめながら自室に戻ると、久しぶりに母からのこのセリフ。

 

「なんで そんな育て方するの?   私を悪者にしようと吹き込んで。」

 

は????????

私がいつ どこで息子にそんなことを 吹き込んだり 言い聞かせたりしてるというのだ??   一度もそんなこと 言ってないけど。   家族が崩壊していることを 悟られまいと むしろ 美化して語ってきたけれど。

長らく 寝不足がたたっている私。 口答え。

「また それ?」

もう いい加減に 被害妄想やめてよね っていう思いで放った言葉に、母は

「ほらね? 自覚してるんじゃない。  どうしてそんなことするの?」

と つっかかってくるから 17キロの息子をヘルニアの腰で抱きかかえながら

「そんなこと、してないから!!」  声が大きくなる私。

 

「こそこそ 裏で妙な事を吹き込んだり 人のものをとったりして。   そういうこと、小さいからわからないなんて思ったら 大間違いなんだから。 そんな子育てしていてね 思春期の反抗期に 手に負えなくなって 苦労するのはあんたなんだからね。」

 

私、そんなこと一つもしてないし、 思春期の反抗期が手に負えなかったのは自分のことでしょ?(弟は中学生のころ 夜遊びしてたばこを吸ったり、高校を1年も通わないうちに中退。家にいても暴れて壁に穴をあけたり 学校に行かない連中とつるんでいたりで どうしようもなかった。   子供を持つなら絶対に女の子がいい と父や弟を見ていて ずっと思っていた私。)

 

どうして 母は 私のことを そういう風にとらえるんだろう?

もう怒りを通り越して、疑問でしかない。

 

小さなころから、両親の不仲の中に育って、幼いころは「どうしたら 母が喜ぶか?  私が母を幸せにしなくちゃ」という気持ちで張り切っていた私。  思春期には 崩壊していた家庭を嫌い、こんな血全部入れ替わってしまえばいいのに!と頻繁に献血に通い(馬鹿げてるとわかっていたけど、両親とつながってる自分を許せなかった)、体の成長を 卑しいもののように扱い その変化を監視する母に困惑。 食べることをコントロールできない時期もあった。

家庭内のいざこざが どれほど人間をゆがめてしまうのか、身をもって思い知っているこの私が、どうしてそれを息子にまでつなげようとするというのか?

 

たまたま息子には自閉症があって、普通の子育ての枠には収まらない部分や理解が難しい部分があるというのに。。。   もうどれもこれも すべて私の責任なんだからと責め倒してつぶさないと 母は気が済まないのだろうか?

 

いっそ潰れてしまえばいいけれど、息子を守りたいから。母に受け入れてもらいたかった 小さな少女だけをつぶして、私はたくましく生きていくぞ!!!!

息子のお気に入りのプラレール

1歳のお誕生日の時に 私のおじから頂いたのがプラレールの新幹線とレールのセット。  そのころから 息子が気に入っていて、親の私も楽しくなり少しずつ車両やレール、踏切などを買い足して、今では頂いたプレゼントを含めて衣装ケース1箱に収まるのがやっとになっている。

 

6畳ほどの空間にレールを組み立てて、好きに車両を走らせるのが息子のお気に入り。

 

ある時期は、とにかく長く長く貨物列車をつなげて走らせることにこだわっていた息子。  いいんだけど、長くしすぎるとカーブを曲がり切れなくて脱線してしまう。そしてそのたびに激怒する。。。。。5回くらい脱線してはやり直すのを繰り返すと、さすがに直し担当の私の忍耐が持たない。「つなげすぎだから、脱線しないように短くしてみよう。」とそそのかしたりしても それが受け入れてもらえず、辛い時期があった。。。

 

最近は2台を競争させて、どちらが早いか眺めたり、追いつかせて脱線させたり、正面衝突させて盛り上がってみたり。事故の風景は たとえおもちゃの世界でも私は気持ちがふさぐので、けっこう本気で嫌がっていた。すると今日は2回ほど正面衝突をさせた後に、競争に遊びを切り替えて、追いつきそうなときに車両を助けて事故を未然に防ぐという遊び方をし始めてくれた。(平和で嬉しい)

 

そして私が組み立てたレールを、自分の好みに変化させようと自分で手直しをするなど、少しずつ3歳児にしては高度なテクニックを使う意欲を見せてくれた。

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電車を追いかけて動くときにレールにさわってしまってレールの修復がたびたび必要になったり、脱線した車両をレールに戻すのを手伝ったりでなかなか付き合うのが大変だけれど、きっとそのうちお友達とこういった遊びをするほうが好きになるのだろうから、今は全力でお手伝いしている。

 

プラレールから、いろいろな車両、レールのセットが販売されているけれど、Amazonで買った トーマすと貨車いっぱいセット が一番お買い得だったと思う。

トーマすにつながる貨車もミルクタンクが揺れたり、おさかなや果物を乗せる貨車があったり、走ると2つの木箱がぴょこぴょこと上下に揺れたりするかわいい貨車があって、すごくかわいい。

 

こういう 息子が乗り気で 遊ぼう遊ぼうと言ってくれるおもちゃで遊ぶ時には

 

「よし!それじゃあ まずはお部屋を片付けて、掃除機できれいにしようね。大事なプラレールが汚れないようにね!」

と言って さくっと掃除機がかけられることが うれしいおまけだったりする。

 

掃除機の音が苦手な息子も 楽しみがすぐそこにあることで がんばって我慢してくれる。

楽しみが特にない時の掃除機掛けは、息子をおんぶしながらになることが今は多い。しかも、わざとバランスを崩して「たすけて~!!」と遊ばれるから本当に大変。

 

お雛様。  

日本の伝統、文化の行事。ひな祭り。

 

息子が女の子だったら自分が子供のころ飾ってもらっていたお雛様を受け継いでもらいたかったけれど、息子は5月人形を贈ってもらったので、自宅ではお雛様を飾ったり飾らなかったりというこの数年。

 

姉も嫁いだし、私ももうお雛様にあやかりたいという(気持ちはあっても)年齢はとうに過ぎてしまったから、いっそ供養に出すべきかとも話しているものの、やはり思い出と、誰から贈ってもらったという想いがあるからなかなか決断できなくて、申し訳なく思いつつも納戸に保管している。

 

その昔、ランドセルをミニチュアに作り替えてくれる職人さんがいることをテレビでみた覚えがある。捨てたくないけど取っておくのも場所をとるし。。。という悩みを素敵に解決してくれる素晴らしいアイデア。「いいね~~!!!」と盛り上がりながらも、自分のランドセルは長年物置に保管されたのち、家の建て替えの際行き場がなくなり結局は処分されたという。。。

 

 

お雛様も、ミニチュアに加工してくれる職人さんがいたらいいのに。

 

 

姪っ子が2人いて、一人は今年が初節句だったので、今年はお雛様選びの楽しみに少しだけかかわることができて 感慨深いものがあった。

息子の手前あれだけど、女の子は華があって良いわ~!!と思ってしまった。(成人式でも同じことを思いそうだわ、私。。。。。)

 

私が転がり込んだこともあり、私の両親はお雛様を購入するのにかなり無理したと思われる。それでも 「こういうものは、やっぱり守り神のような存在だし、一生に一度のことだから。」と 清水の舞台から飛び降りる思いで決断した姿に、「私も姉も、お雛様に守ってもらえて今があるのかな?」とおもったりした。

 

結婚は幸せではない。みんなどうして 結婚するんだろう? 

といつからか思いはじめ、けっか未婚のシングルマザーの自分には結婚式の情景がお雛様の象徴になってることが ちょっとだけ重荷だけれど、姪っ子たちには幸せな結婚をしてもらいたいし、結婚は素晴らしいと信じて、実感してほしい。

 

すべての 女の子が 健やかに育ち 幸せでありますように。

 

 

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