はじめての花粉症。 想像以上に厄介で参る。。。
花粉症。。。。。
あたしも ついに仲間入り。。。。。。。。
いや~、参った!! 本当にきっつい!!!!
私はくしゃみがきて、水のようにサラサラした鼻水が出る。
そして、目がゴロゴロ。。
コンタクトか眼鏡がないと、すべてがピンボケに見えてしまうほど ド近眼だから、普段の生活にコンタクトは欠かせない。
眼鏡だと 視界が狭くなってしまうし、汚れも気になるし、なにしろ自分の顔がさらに妙な見てくれになってしまって落ち着かないので、自宅にいる時間しか眼鏡は使わない。
しかし、今回 4月の頭くらいから、目がかゆくなり、かゆいを通り越して目が痛いという状態が先週ずっとで、もう本当につらかった。
車の運転も怖いし、ずっと体の一部が痛いのって本当にストレス。
「いつおわるんだ? いつ 楽になる?」
と、まるでつわりのさなかにいるかのような 問いかけばかりして 過ごしていました。
つわりも 終わりが見えない苦痛の時間だった。でも、その先には とっても愛おしい我が子との対面という最高なご褒美が待っている。
しかし、この花粉症というのは まったくもう、、、、、、、、、、なんのご褒美もない、孤独な苦しみでしかない!!!
仕事にも生活にも差し支えるくらい 大変になったので、ついに病院を受診。
「鼻を見る限り、花粉症っぽいね~。 今までに花粉症って言われたことある~?」
とのんきに先生はおっしゃった。
「お薬飲んで、様子見ます?? 検査すれば原因のアレルゲンもはっきりはするけれど。。。。」
と言ったので、
「調べてください!」
即答。 だって、私をこんなに苦しめている物質を知りたい!!!!!
結果はGW後のおおよそ2週間後。
とりあえず、目薬と、飲み薬で今はかなり楽になって落ち着いている。 久しぶりに平和な気分。
で、就寝前に服用する飲み薬の注意に、アルコールの接種を避けることっていうのがあって、薬が効きすぎて眠気におそわれるのかな???
昨日はワインでもひっかけてから眠りたいところだった。
「どうしよう、、、、でも、薬が効きすぎて明日寝坊するのは避けたいし。。。。。」
と、悩んでいるうちに お酒も薬も飲まないで 寝てしまった。
花粉症疲れ、恐るべし!!!
で、今朝その 本当は寝る前に飲む薬を飲んでみた。
仕事中、眠くなるのとは少し違って、ぼんやり、ぽ~~っとした感覚が続いた。
頭の回転がスローになるというか。。。(いつも人一倍スローな私が さらにスロー!)
で、明日の入院患者さんのベッドの用意をしているとき、ナースさんに
「今 49だったよね?」
と、現在の入院患者さんの人数を確認された時、
頭の回転がいつも以上に鈍かった私は
「え? 歳ですか???」
と、自分の年齢を確認されたものと 勘違いしてとんでもない返事をしてしまった。
なんの話してると思ってんだい?
そこに居合わせた人は びっくりしたはず。。。。。
薬って 怖いわ~。。。。。。。
自分じゃないみたいな感覚があって、本来の自分で勝負できない感じが嫌だったね。
若いころは お酒で酔っぱらう感覚も、 本来の自分で勝負できていない感じがして嫌いだったんだけど。。。。。。
今は お酒、大好き。
合法で、こんなに ふわふわ気持ちよくなれちゃうなんて~!!! とか、思っちゃう。。。
ダメじゃん!!!!!
霊感
霊感が強い とか、何か見えるとか、 そういう話。
私は子供のころに父方の祖母が亡くなったあと、しばらくたって自宅で祖母を見たことがある。
小学校2年生くらいだったかな?
夏の暑い夜、喉が渇いて目が覚め、家族全員が一緒に布団を並べて寝ていた寝室から起き出して 一人で台所に行き、水をのんでいた時、隣の4畳半の角で正座をして座っている白い着物姿の祖母を見た。
祖母は私の方を見ていたわけではなく、うつむき加減に座っていた。
ほの暗い部屋のなか、祖母の姿は白くぼんやりと浮かび上がって見えた。
ぎょっとして、急いで家族の眠る寝室に戻り布団をかぶって寝た。
翌朝、母に話して伝えると
「寝ぼけていただけ! 箪笥の陰をみまちがえていたんでしょ!」
と 軽くあしらわれ、取り合ってもらえなかった。
同じ年頃の時期、ふろ上がりにドライヤーで髪を乾かしていたところ、左肩をとんとんとたたかれた。 誰もいないのに。。。。。
左は窓しかなく、だれもその空間にいなかったのに、肩 とんとん。。。。。。。。
以来、私はドライヤーで髪を乾かせなくなってしまった。
すぐ横で誰かが一緒にいてくれない限り、今でも決して一人ではドライヤーを使えない。 トラウマ。
19か20歳のころ、金縛りを初体験。
「え??体が動かない! なにこれ?? 怖い~!!!」
と身動きが効かない体で怖い思いをしていたところ、足元に何かの気配。
軽井沢で職場の寮のアパートに住まわせてもらっていた時にも1度、金縛り。
年齢は28歳くらい。
やはり体が硬直し、動かない!! 怖い~!!
と思っていたら、ものすごいうなり声(落ち武者?????)がして、声の持ち主が部屋を斜めに横切って外へ消えていった気配。
金縛りなんていうものは、夢です、夢! 夢を見ているだけなのに、それを現実だって思ってしまって 金縛りとか言ってるだけですから、心配いりません。
と、高校の時の世界史の先生がニコニコと話してくれたのを励みにしたかったけど、夢にしては感覚がリアルすぎて 本当に怖かった。一人暮らしだったし。
直近の金縛りは実家に戻って少したったころ。今から2年か3年前。
夜中に廊下から小さな子供がびたびたと足音を立てながら私の寝ている布団のほうにかけてくる音がして、体が硬直したままあおむけで寝ていた私の首元にドスンと小さな子供が無邪気に馬乗りになった。
重い感覚、息まで詰まる感覚、すべてがリアルで夢と思えなかった。
だからもう いい大人だけど、夜中にトイレで目が覚めると本気で怖い!!!!!
3時までは我慢する、絶対に。
なんとなくの感じで、2時まではちょっと怖い。
職場は病院なので、いろいろあるみたいで、、、、北棟のある鏡には布を覆っているらしい。夜勤の職員がいろいろ目撃してしまうとかで。。。。。。。。。。。
仕事中、寒い季節でもないのに、勝手にゾゾぞわ~!!っと鳥肌が立ってしまうことが何度かあった。
「わ! なんだろ、鳥肌立っちゃった~!!」
と、同僚に言える時はいいけど、ひとりっきりのときに起こると怖い。
目に見えない世界の何かがあるのだろうか??????
へそのお
昭和50年代、日本人家庭に生まれ、日本で育った私は 産まれた時のへそのおを 桐箱に保管してあるものを母に見せてもらったことがある。
小学生くらいの頃か?
学校の宿題か何かで、「自分が生まれた時のことを 家族に聞いてみよう」 といったようなテーマで自分のルーツを探すというのをやった覚えが。
当時はへそのおが残されていることに特別な嬉しさがあった。なぜへその緒を残すのか? そんなことを疑問に思っていたのかどうか、記憶にないが。。。 なんとなく、そーゆーもの、 として当たり前の感じで受け止めていたのかな?
あるとき、へその緒は、女の子の場合、お嫁に行くときに母親からプレゼントしてもらい、そして母親が亡くなった時に 棺桶に入れる という話をテレビか何かで聞いた時は、少し感動したけれど、本当のところ、どうして日本ではへその緒を大切に保管しておくんだろうか??
息子を産んだ時、「カナダではへその緒なんか保管しないんだそうけど、やっぱり私としては自分が親にしてもらったように、へその緒をとっておいてあげたいな。」
と思っていた。
しかし、生まれたての息子のおへそには、プラスチック製のクリップみたいなものでへその緒が止血されていて、そもそものへその緒の残りがとっても短かった。
で、1週間と経たない間に、そのクリップがぽろりとはずれ、
「残せるかんじかな?」
と、そっとクリップが挟んでいたへその緒を外してみると、全然形に残っていない。
なんていうか、鼻血が出た後の鼻くそ?? みたいな 小さなかけらしか残っていなかった。
残念!!
でも、へその緒が残ってなくても、私たちは紛れもない親子である。いいよね。
と、諦めて、代わりにへその緒を挟んでいたクリップと、入院中に私と息子が付けていたブレスレットの名札を記念に残すことに。
へそのお の風習、もっと由来とか調べておきたいな。
カナダにかえりたい息子君
もうパパが恋しくてしかたない様子の息子君。
年少の終わりにはひらがなを読み書きできるようになり、遊びながらお手紙書いていた時に
『OOOくんはもういない かなだにかえったよ』
と無邪気に書いていた。
聞くとパパと一緒に住みたい、日本は地震がくるから怖いと。
幼稚園では地震の避難訓練を毎月のようにしていて、津波に備えて山の上まで逃げる練習などもしているからか、幼い心にもかなりの警戒心があるようで、
私が以前
「カナダには地震はこないんだよ。だからママ、カナダが好き。」
と話したことも影響しているらしい。
私の永住権さえあれば、息子とカナダに移ることもできるのに。
年少さんの1年は、私が就職したこともあって、あっという間にすぎてしまって、明日から息子は年中さん!
小学生に上がるタイミングで移住をと夢にみるとしたら、今すぐにでも支度をしていくくらいでないと。。。。。。
やんわりと夢見ているだけでなく、可能性を探して行動を起こしていかなくちゃなって強く思った。
そして、息子のパスポートも5歳になる今年、書き換えだったはず。。。。。
東京で手続き、ってことになるのかな?
ケベックの出生届がひつようかな?
日々忙しくて それどころではないけれど、それこそきちんとしておかなくては!!!
日本に戻ってから、それこそ恋しくて辛くなるからあまりカナダのことは考えないようにしてきた私だけれど、最近はここでの暮らしにも愛おしいものが増えてきて(仕事だったり、幼稚園での生活だったり、)カナダのことに想いを馳せることも怖くなくなってきた。
あの、モントリオールの空港に到着した時のわくわく感、異国の香りは考えるだけで幸せな気持ちになる!!!
この際、ケベックにこだわらないで移民として私が受け入れられそうな場所をカナダで探して永住権を目指してみたいと、新たに目標を定めたところ。
日本は 私にはなんとなく合っていない感じがするんだよな。。。。。
ただ、息子が簡単に医者にかかれないカナダの医療制度だけは引っかかる。。。
日本の子育てしていて良い点は、耳鼻科、眼科、小児科、整形外科、などなど、必要な時にさっと専門医に診てもらえるところ。
年少になったばかりのころは毎月のようにお休みすることがあったけれど、冬場の1月2月3月は 1日も休むことなく登園できた息子君!!
元気で暮らせることが何よりうれしいね。
私はここ最近、花粉症で目がゴロゴロ、くしゃみ連発で辛いけど。
潔癖症?
私はどちらかといったら潔癖な傾向が強いと思う。
公共の場は、誰がどんな手で触ったのかわからないものであふれているから、軽く恐怖だったりする。
幼稚園から帰宅した息子は速攻すべての洋服を着替えさせ、手をよく洗い、やっとくつろいだ気持ちで過ごせる私。
今日は自宅に弟夫婦が泊ってるのだけど、弟は清潔感にかけるタイプ。
犬を飼っているのだけど、犬を触った手であちこち(ドアノブとか)触るし、でかい体が悪いのか?玄関から廊下まで、靴下で上がり込んで歩いた後には なんか、あぶらっぽい感じの足跡が残ってたりして、本当、申し訳ないけど気持ち悪い。
そして、許せないことに、小さな子供が傍にいても煙草を吸う。嫁も吸う。
1階の私たちの部屋にまで悪臭が届くのに、2階の部屋の中でも煙草を吸う。嫁も吸う。
もう、ストレスたまって疲れる。
価値観もそうだけど、衛生観念も、大切だと思う。
今日はぞわぞわ気持ち悪いな、、、汚いな。。。早く掃除して除菌したい。明日から仕事なのに、そんな時間と体力あるかな? と心配ばかりの自宅でお花見ばーべきゅうーでした。
期間限定 が苦手な私
期間限定って、誰の都合で言ってんだ~!!??
と、言いたくなる商品があるから、期間限定ってアピールして売っているものが苦手な私。。。 そうアピールすれば売れると思ってやってる感じがする商品が苦手。
今時期ならば、いちごが旬だから、たとえばいちごが「期間限定」として売られているのはいい。
今 買わなきゃ!!
それで正しいと思う。
期間限定という言葉につられて何かを買うということはしなくなった。
「今だけの限定ですので。」
とお店の方に 例えば化粧品をすすめられたりすると、
「それは そちらの都合でしょう?」
と思ってしまう。 絶対言わないけど。
期間限定だからではなく、単純に「おいしそうだな」とか、「これ、いいな。」と思って買ったものが、本当に気に入ってしまったとき、次に買えないのがまたつらい。。。
苦手だな。。。。期間限定。
もうひとり 産みたいならば
久しぶりに日本の美容院でパーマをかけた。
初めて担当してくれたベテラン美容師の女性はなかなか波乱に満ちた人生を送ってきた方のようで、私の波乱に満ちた生活の話も
「そうか、そんなことも経験したのね。」
というかんじで、じっくり聞いてくれた。
その美容師さんは2人の娘さんを一人で育て、いまや長女さんには9カ月になる男女の双子ちゃんがいるそう。
友人の相談にのったり、数々の 簡単にはいかない人生のいざこざを経験してきた女性の言葉は重みも深みも強さもあって、迷ったときには相談したい感じのアドバイスがたくさんもらえる 素敵な女性だった。
人生における価値観が素敵で。
私は一人息子で、無理な話だけどもう一人子供が欲しいと話すと、
「同じ両親の元で産まれた兄弟にこだわるのならば、子父に日本まで来てもらって、旅行でもいってトライしてみたらいい。」
という斬新なアイデア。
「お金のことはなんとかなるけれど、子供を産むということに関してはリミットがあって、もはや待ったなしなんだから。 今優先すべきはそっちだと思う。」
と。 やっぱり こと日本では、一人っ子で育つと子供が大人になった時に不便なこともある。 私が死んでしまったときなんか、ともに協力しあえる兄弟がいたら心強いと思うし。 いとこが2人、息子にはいて、仲良く成長しているものの、やっぱり兄弟といとこは違うしね。。。。。。
まあ。夢物語としても、そういうのもいいなとふわふわしながら、ちょっと希望がみえた気分になった。
「私はね、あなたを誰よりも愛しているし、あなたを傷つける誰かがいたら
相手の親が 医者だろうが、弁護士だろうが、政治家だろうが、やくざだろうが、乗り込んでいってやる!!! なにがあっても、私はあなた味方だから!!!」
と、登校拒否になってしまった娘さんに、どれほど彼女が愛しい存在であるか、それだけは伝えながら育ててきたそう。
かっこよくて、素敵なお母さんだったな。。。。。。。。。。