カナダでの出産に到るまで 

私は、憧れていた海外生活をワーホリの制度を利用して実現しました。

色んな良縁に恵まれ、仕事場でworkpermit(労働許可)を取得させてもらうことができて、大好きになったカナダはケベック州の片田舎で5年過ごし、いづれはカナダの永住権がとりたいと夢見ていました。

 

いわゆる職場恋愛を経て、子供を授かり、職場を首になり、それでもカナダのケベック州の恵まれた福祉の助けによって、低所得で独身だった異国の人間であった私が、安心して出産まで迎えられたことは本当に人生の宝物です。日本でだったら、無力な私にはできなかったことだと思います。

期間限定の滞在許可しか持っていないながらも、低所得とはいえ働き、納税することができていたので、ケベック州の健康保険や産休、育休手当てまで頂いて、本当にそのおかげさまでわが子を腕に抱かせてもらえた次第です。ケベックのように政府が若い家族や独り親家庭をケアしてくれたら、日本での子育てにも不安や恐怖が減るだろうにと、とても思ってしまいます。  甘い考えすぎるかな?

妊娠が発覚したとき、子の父(以降パパと記します)との関係は破綻に近いものがありました。交際そのものが、期間は長いもののくっついたり離れたりを繰返すとても不安定なものであったので、私の感覚としては『不調期』で、会話もしないような時期にまさかの懐妊。

本当に、今度ばかりはきれいさっぱり別れよう!などと思っていた時の出来事でした。それでも残りのビザの期限(これは健康保険の期限も同じになっています)を見たら、

「なんとか出産まではカナダに居られるから、大丈夫だろう!」

そんな気持ちで自分の中に変な自信をもっていました。

今ここにある命を守ることしかできないかもしれなくても、それでも、この選択をしようというおもいではじまった妊婦生活。

あたしったら哀しい妊婦だわなどと、人生を悲観したり(仕事を失った時期、特に)不安もあったけれど、なによりはじまったばかりの命が私を励ましてくれて、いろんな人々に助けられて、幸せでした。この子を授からなかったら、こんな人の温かみにも出会えなかったと思わされる素晴らしい出会いもたくさんあって、感謝感謝、心にある暖かい気持ちを表す言葉が見当たらないくらいです。

少しずつ、そんな日々の思い出もここに記していきたいと思います。