私のお産 2

妊婦生活が 終わってしまう名残惜しさは 本当に強かったです。 つわりがダラダラと長い期間続いて、あまり満喫できなかった常に船酔いな気分や 心の葛藤、検診してくれるドクターも19週辺りまで見つけられずで、自分の親や家族にも妊娠しましたと言えず、、、訳ありすぎた妊婦期間。

だからこそ、名残惜しかった。  もっと常に Happy な心持で過ごせばよかった とかいう後悔も残った、120%楽しめなかったぞ、自分!! みたいな。

doulaも決まり、入院の支度も済んだし、当日の家を出る前の 施錠や片付けの手順もメモって冷蔵庫にスタンバイ しつつ お腹には

「できるだけ のんびりしていなね~」

と声がけして過ごしていました。

予定日の前日の検診では 検尿して、モニターで陣痛をチェック、子宮口も内診でチェック。『まだっぽいから ちょっと刺激するわね。これで お産が進むきっかけになればいいんだけど。』と初対面の研修医の女性に ぐりぐり内診され、帰宅。

自然にできるかぎり任せたい私は 勝手にぐりぐりされたことが ちょっと不満。。。    医者が研修医だったことや初対面だったことは そんなに気にせず。   もう 病院に通してもらえるなら それだけで ありがたいみたいな胸中、なにしろ妊娠初期、どこにいっても うちでは診れない と門前払いのたらいまわしをくらっていたので。。。

基本的に お産は 太古の昔は 大昔から繰返されてきた 自然なもので、祖母などは戦時中に 産婆さんが間に合わず 一人で出産したこともあったと聞いていたから、 なんかこわいが 大丈夫だろうと考えていました。痛すぎて、もう嫌だとか

大騒ぎしちゃったら恥ずかしいな、とかチラッと思いつつ。。。

それでも doulaがお産前の面談で 私の希望するお産のスタイルを聞いて理解し、把握しておいてくれたり、お産の流れの説明をしてくれたりしたのが とても心に安心感を与えてくれました。   赤の他人が、お産に立ち会うということは、不思議な体験でしたが、今おもうと、たとえ家族が付き添える状況であっても、私はdoulaに付き添いをお願いしたいし 立ち会って欲しい。doulaがそこにいてくれた、ということで 家族の延長とでも呼びたくなる素敵な存在ができることになるからです。

実の母なんかが 付き添うなんてちょっと私にはきつい。

予定日の前日には検診して、 ぐりぐり内診して(痛いとか聞くけど、まったく何も感じなかったです…不感症なのか?私は?)、子宮口も閉じてるし、予想通りまだまだ、などとおもっていつものように過ごしていました。

子父は 夜勤の仕事をひかえ、職場が彼の自宅からの通り道に当たる位置に私が住んでいたこともあり、その晩の仕事は私の自宅から行くと 我が家に宿泊。夕方早めにご飯を食べ、彼は私のベッドを占領し、私はソファで仮眠のつもりでうたたね。。。

暑さで寝苦しく、やっと6時ごろうとうとしたのに 8時半ごろトイレ目覚めた私。

このころから おやおや??というような不快感を感じ出し、予定日の翌日にはわが子との対面を果たすことになるのでした。。。