よいことは お蔭様、 悪いことは 身から出たサビ

謙虚に、 感じ良い人でありたい。

でも 気持ちや 生活にゆとりがないと、いろいろ 人のせいにしたくもなるし、 なんで私が? という理不尽さを感じたりもする。

できるだけ、心おだやかに、幸せを感じながら生きていく努力をしなくっちゃ。

今朝 ゴミだしに出るのが 収集車の来る時間 間際になってしまった。  洗濯物を干して、そのついでにゴミを出しに行こうと思ったのに、 母の選んだ洗濯機は まわし始めに出る 時間が 32分 (で洗濯完了)と表示されるのに、実際は40分経過しても 残り7分 という表示が出る ハイテクさ。  なので 自分の中の段取り変更して 息子とゴ出しに 出かけた。

時間がギリギリだったので、 家に戻ろうとしても 嫌がる息子をなだめているうちに 収集車がやってきた。  せっかくなので、 はじめて息子に 収集車の様子を見せてみた。   私も久しぶりに 収集車を観察したけれど、 3人のおじ様たちの 機敏すぎる動きに 釘付けになってしまった。

運転手が停車させると、車内の全員がさっと下車して、忍者のような素早い動きでゴミの山にかけてあった網を外し、次々にゴミを回転して飲み込んでいる車に積み込んで片していくのであった。あっというまに すべてのゴミが収集され、素早く車に乗り込んだおじ様達。  見事であった。 あれは 楽ではない。  早くしないと、場所に寄っては交通の妨げになるだろうし、町中のゴミを集めるのに、ちんたらしていたら日が暮れてしまうだろうから、あのスピードに鍛えられたのだろうが、本当に ご苦労様ですと 頭を下げたくなります。

てきぱきと働く人、 笑顔で働く人を見ているのは 気持ちがいいな。  朝からとても気分が良くなって、私も頑張ろうと思えました。

朝一で 洗濯機の時間がかかりすぎることに イライラし、 掃除機も 母が選んだものは 床の拭き掃除もできるという機能がついているせいで、重く腕に負担で、さらにノズルの先にセットする紙が毎回上手くセットされなくて、さくっと掃除にとりかかれないことが イライラ。(今の私には この3分が非常に貴重である。上手くセットできない紙に振り回されている暇はないのだ。) 本当、母のこだわりの家電は私には機能的で無く、こんなところでも価値観の違いに悩まされている。

小学生のころは、母が大好きで、母を幸せにしたい一心で生きていたけれど、いつしか気持ちは離れていく一方。 最近では、距離を置かないと と切実に思う。価値観の違いがそうさせるのだと思う。

小さなことだけれど、例えば 母は一万円札を使うのに、場所を選ばない。  私などは、個人商店など つり銭の用意が手間になると予想できる場所では極力使わないようにする。  宅配ピザなども。(どうしても 細かいのが無い場合、あらかじめ一万円でおつりを下さいとオーダーする。)

先日も近所の蕎麦屋で出前を頼んだとき、姉が細かいお札で支払いをしている脇から、「こっちで払って!!!!」  と一万円札を差し出すのである。両替目当て?みたいな、迷惑な客状態。 お店の方も、「あるでしょ?おつり?」 と強引な母に 『ありますけど。。。」と 困惑気味。  私は恥ずかしくなって、「細かいのが欲しいんだったら 後で両替してあげるから、いいにしな。」 といって 一万円を下げてもらった。

不満げな 母に 個人経営な小さなお店で一万円札を出されると迷惑な理由を話したが、「それも商売だろうに」 といって聞かない。あの横柄な態度、本当に嫌だった。 金を出すのはこっちなんだから といった強みのようなものを持っているのか、妙なプライドがあって、身内ながら こういう客嫌い  と思う。

いつしか 一緒にいて 恥ずかしい存在になってしまった。 哀しいけれど親子といえど、上手くいかないことも 相性が悪いこともある。  いつか わが子も 私を疎ましくおもい、側にいることが苦痛になってしまうかもしれない。 それは哀しいが、そうなってしまったら、お互いのためにも 適度な距離をもって生きていくことにしなくては。   そう考えたら、ママじゃないとダメで、トイレもドア空けたまま息子に付き添われてバタバタ済ませなくてはならない 今のべったり一緒な時間は 宝物!!!!  大切に過ごさなくては。