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手術後

再開後、荷物の整頓など私の支度が整ったあと20分ほどしたころ、むずむずっと意識が戻りだした息子。程なくして があっがあ~~!!とけたたましく泣き出した。

あわてて ナースコールで看護師さんに来てもらう。  あちこち 管があるため 手が出せず おろおろしてしまう。。。  麻酔のため 気道確保の呼吸器を使っていたからか、のどが痛いのだろう、未だかつてきいたことがないがらがらになった声で 激しく泣いている息子に 心が苦しくてたまらなかった。 ベッドの柵を下げ、おおいかぶさるようにして自分の存在を分からせようとするが、激しく暴れてしまい、パニックになっている息子。

一刻も早く 母乳をあげたいのに 術後1時間はダメとかで、5分ほど待たされて 地団駄をふんでしまいそうになる私。もういいじゃないか、こんなに意識がはっきりしているのに!!

まずは 水分で腸の働きが戻っているか確認してからのミルクといわれて、看護師さんが砂糖水を哺乳瓶に用意してくれるのを待ち、やっと水分を口から与えてあげられた。   普段は哺乳瓶を受け付けない息子が、このときばかりは

藁をもつかむ の境地さながら、ぐびぐびと200mlほどの砂糖水を一気に飲み干してしまった。  豪快かつ 爽快なまでの飲みっぷりに、一瞬安心するも、すぐにまた、「足りない!!」と 泣き出して、腸の音をチェックしてもらえるまで またしても 地団駄を踏みそうになる私。

チェックしなくても 大丈夫そうなのに、やはりきちんとチェックは待たねばならず、予想通り 腸も動いている とのチェックをしてもらい やっと母乳をあげられた。

手術の時間、数時間も離れて過ごしたのは 産まれて初めてのこと、私のほうが心細くて寂しかった。  逆に言うなら、産んでからずっとずっと 一緒に過ごせていたことがとってもありがたいことなのだと 再確認。

点滴の管もはずれ、抱っこがしたければ自由にできるようになり 落ち着いた。点滴の針も抜いて欲しかったけれど、万一痛みがひどいとかで点滴が必要になってしまうことも考えて、点滴の針はつけておくようにいわれてしまう。  安心のため、仕方ない。  大きく思いギブスにおむつ交換もまたまた緊張。  自分がアキレス腱の切った経験がないだけに、痛みの想像がつかないこともあって、本当にこわごわ。ひやひやしながら見守っていた。

夕方18時を回るころに、主治医の女医さんが話しに来てくれて、順調であった手術の経過を聞き、お礼を述べた。明日の朝、また様子を診に来ながら、ギブスの付け根に防水テープを張ってくれると話してくれた。

そういえば、ギブスなのだけど、日本のこの子供病院では、綿が平たく包帯のようになったものでまず足を覆い、そのあとで石膏つきの包帯を濡らしたものを巻きつけて固め ギブスを巻いていた。 なので 太ももの付け根や つま先のギブスの端の部分が ぼろぼろとこなれたりし易く、やっかいであった。

対するカナダでは、まず一番最初に、足に伸縮性のあるネットをはかせてから 平たい綿、ギブスの順で巻き、ギブスが巻き終わったらネットをくるりと折りかえしてギブスになじませて仕上げていた。 このため、 ギブスの端が ほろぼろくずれたりせずにすみ 快適だった。  

こういった(ネットを使う)一手間、工夫は 日本の方が長けていそうなものなのに、意外であって、あんまりにも ぼろぼろ粉れるギブスが気になって、お医者様に、カナダ流をアドバイスしてしまいたいくらいであった。  当時の担当医は、若い優しい、とっても話しやすい先生だったので、その程度の提案なら耳を傾け、検討してくれていたかもしれない。。。  今更だけど、ちょっと後悔。。。

今の担当医には とてもじゃないけれど そんな提案できません。  なんていうか、、、威圧的態度な若い男性で、苦手。。。最初に彼に会った時、「えっ、何? 今日、お昼休みに早く行きたくてイラついてらっしゃる??」 って聞きたくなるような診察のしかたをされた。   2度目も ぴりぴりムード。 やっつけ仕事みたいな扱われ方だったし。感じ悪かった、、、。なんの前置きもなしに 子供の足を見せろとばかりに触るから、それでなくても怖がりの息子は 泣き出して嫌がってしまい、それがまた 彼をいらいらさせてしまうようでした。   歩き方も見せてといわれたけれど、怖がって泣いてしまっていた息子は私にしがみついて、とても歩きを見せられる状態ではなくなっていたのだけれど、 その時にも    「あ、じゃあいい、次の受診の時にはさすがに見せてもらわないと困るけど。」  とつめたいの何の。   悪い人ではないのだろうけれど。 笑顔もないし、怒っちゃ や~よ!!って志村の口調でいってやりたくなる。

また 話がそれてしまった。