産後の鬱

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よく 出産後はホルモンの急激な変化の作用で 気持ちが落ち込んだり、憂鬱になってしまうと聞いていた。   そのことを ナースやソーシャルワーカーの女性達(皆出産経験あり)が 前もって、口をすっぱくして、子父には 

「だから 彼女がおかしいと思っても責めたりしないで、サポートしてあげてね。」

とアドヴァイスし、

「皆、多かれ少なかれ経験するけれど、 悪いのはホルモンなんだから、自分を責めたりしないで、気持ちをおおらかに持って過ごしてね」

と 私には 同士のような 優しい励ましをもらっていた。

産後すぐに その 感情の激しい波がやってくるのかと構えていたけれど、 私の場合は、産後はとにかく 目の前の小さな赤ん坊をお世話することに目いっぱいで、しかもそれが 案外楽しくて、脳内にアドレナリンが出っぱなしかも!!?  などと考えるほど、野生のリスのような機敏さで 寝るまもなく バタバタと動き回っていた。

カナダの病院では、研修中の Dr, や ナースが 入れ替わり立ち代り みたいなかんじで ひっきりなしに病室に来ては 子供の血糖値の検査をしたり、授乳をサポートしてくれたりしていて、寝てる暇はなかった。

寝不足と、子供の世話とで 妙にハイになっていた。

 

退院したら? とDrに突然言われたときには (子供の血糖値が低くて、安定するまでは入院とのことだったのに、3日目の昼前に突然 「どうしても不安なら もう一泊してもいいけれど、自宅のほうが休めると思うし」 と突然言われた!!)  心細い気持ちと、なかなか楽しかった入院生活との別れがさみしくて 心がぽっかりって感じではあった。    だけど、実際自室に戻ってみたら、子供のお世話さえ済めば 自分も子供と一緒のタイミングで眠ることができて、「 あ、大丈夫!」 とすぐに前向きな気持ちに。

ところが、当時2013年の夏も結構暑かった!!  自室にエアコンを持っていなかった私は 暑さが心配でならなかった。  カナダの夏は日照時間も長いものだから、夜になってもなかなか 日中の暑さや照り返しが消えない。  ナースは

「赤ちゃんが 首の後ろに汗をかいて寝ているようでは熱すぎだけど、そうでなかったら大丈夫。」

って、とりあえずオムツ一丁でいいわね!! と言うし、実際とても暑くて私もtシャツさえうっとうしかったので 7月はほとんどオムツ一丁で過ごしていた。

エアコンを自力で買えていたならよかったけれど経済力などの事情でできず、子父が職場の人からもらってくれると言っていたので、それを心待ちにして過ごすしかなかった。

産後5日目の朝から、自分の両足がゾウのように浮腫んでしまった。  寝不足もあったし軽い頭痛さえあって、その日は体調が悪かった。  それなのに、その日の夕方

に予定していた 妊婦介添え人(doula) の2人による沐浴訓練を

「出来たら 予定を変更してもらいたい」

と 子父に頼んだら、

「それは無理」

と断られたとたんに 堰を切ったかのように 涙がド~~~~~~~~~!!!!っと流れてきた。その時、食べるものの用意もできなくて、それでもお腹がすいてしまったので、入院中に給食やおやつで出されていたけれど食べずに自宅に持ち帰ったクラッカーにイチゴジャムをちまちまと塗っては食べていて、クソ暑いし、頭は痛いし、体力的に限界よろしくだっていうのに、たったひとつのRDVアポを延期することさえゆるしてもらえないなんて、、、、、と 自分が惨めでたまらない気持ちになってしまった。

エアコンも買えない、食事の支度さえする余裕がない、私はダメな母親だ。。。。。

と、果てしなく絶望的な気持ちで、流れる涙と鼻水をすすりしゃくりあげながら のどにつまりそうなぱさぱさなクラッカーを食べていた。

流石に子父も、突然の号泣に焦って私の隣に座って慰めようとしてくれるのだったけれど、暑さに私より弱い彼が、汗だくで私の顔を覗き込む姿が更に 無力な自分を責めたくさせた、と同時に 「ほんの少し私に協力して約束を変更してくれてたらいいんだよ」 と彼を責めたい気持ちでいっぱいだった。

結局彼が予定変更の連絡をしてくれて、私は休むことができたけれど、

「あ、今泣いてます」

と 心配してくれていた電話先の doulaに話していた彼の声が 冷酷にきこえてしまって、なんていうか、

男のお前に分かるもんか!!! 

と言う気持ちでいたと思う。

もっとさ、私にかわいげがあったら 養育費も少しは貰えたのかな??

皇室の皆様が、「国民の気持ちに寄り添う、心を寄せる」 といった暖かいおおきな御心で過ごされておられる姿をTVで見ては   そうありたい    と憧れているけれど。。。。。

産後泣いたのは  その時と、日本へ帰国するために高速バスへ乗り込んだあと、どんどん遠ざかってゆく大好きな町を名残惜しく思って流れた 車内での涙の2回のみ。

涙もろくなるとかいうけど、私は大丈夫でした。

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退院の朝の給食。カップの中身はコーヒーだし、 なかなかの適当さが懐かしい!!

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ハッシュドビーフみたいな夕食。   ちまちま集めるように貯めていたクラッカーが左上に。   本当に助けられていたな。。。

給食はどんなメニューも美味しくって、用意してもらえることが嬉しかった。