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栗原 類 君の本

息子が発達障害を指摘されていること、日本とカナダハーフであることもあって、栗原 類君が最近出版した本は 私にもとても興味がある。

 

子育て支援の振り込みがあって、少しはお金をつかえることもあり、本屋さんによるたびに問い合わせるものの、いつも 在庫はありませんである。。。。

 

残念なのだけど、同時に たくさんの人が発達障害に理解をしめそうとしていると感じられてうれしくも思う。

 

発達に障害があっても社会で活躍できるし 人と違うかもしれないけれど、心も感情も持っている、同じ人間だよという理解ができるだけ多くの人に知られると素敵だと思う。

 

知的障害、身体障害、世間一般とされている 普通  という生産や活動はむづかしかったとしても、 全くおんなじ人間である。

 

私、自分の母が、道で見かけた身体障害者と思われる方に対して、

「ああいう風に 体の自由がきかなくて苦労している人もいるんだから、健康に生活出来ることは幸せなんだよ」

と話すことが大嫌いだった。

私の息子が 先天性の病気 内反足で産まれた事実を私自身がオープンに、隠さず生活していたことを

「あんた、 そういう先天性の病気っていうのは 昔は差別の対象だったんだからね。  あそこのだれだれさんだって、兄弟に障害者がいたもんだから結婚できなかったんだから。 あんたの弟の縁談に差し支える!  周りに知られないようにしないと、」

などと言い放った時には 言葉にできないやるせない気持ちになった。

 

障害があることを 差別する行為が なにより恥ずべき行為だと、この人にはわからないのか?

と自分の母親に対して絶望した。

「私は(自分の家系に) 先天性の病気を出したことないから」

と私の息子の内反足について話した時にも 口にした。

 

この人は、間違っている。  そう確信しながらも  母であるから言えないジレンマ。

「お母さん、障害に対してすごく偏見あるけど、やめてね、恥ずかしいから。」

そういいたいけれど言えない私。

とことん 嫌いになった母親でも、傷つけてしまうかもしれないとか考えたら言い出せない意気地なしな私。

 

なんかさ、偏見や差別がないピースフルな世界がないかしら?って思うわけ。

昔、ヒッピーだったよっていう アメリカ人に出会ったとき、なんて平和なメンタルなんだろうってあこがれたけど、それでも嫌いな物には嫌悪感示すし、違法でも薬草煙ってハイになることを好むし、、、

 

シラフでも、ハイになるぜ、あたし。

 

とか思ったら、あれ?あたしってすごい??悟り具合がすごくない????

 

って自分をほめたくなった。

なんか、支離滅裂だけど。。。。。。。。

 

この地球に命を与えられたすべての存在を、基本 尊重したいと考えてきた自分に乾杯!!!! (じゃあ 犯罪者までをも尊重すんのかよ? と言ったらそこは私も例外として区別してましたと言わねばならないし、矛盾に苦しんでいる点だと言わなくてはならない。)