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節約生活    記念写真

プロにスタジオで撮ってもらえたら最高なんだけど、 七五三のお祝いも、お参りの参拝の奉納さえやっとこな 極貧生活。

 

手持ちのカメラで沢山撮ってみて、その中でいい記念になりそうな1枚があれば、それを引き延ばすなり、 素敵な台紙に張ってあげるなり、自分で工夫してみようと試みた。

 

結果的に、

「わざわざスタジオでとらなくても いいんだね!」

とうれしくなれる写真たちが残せた。

 

毎年家族できちんとした記念写真をお願いして、きちんとした形で素敵な写真を残せたら、それは本当に素晴らしく最高ではあるけれど、日々の生活もままならない極貧状態なので、「今できる ベストを尽くした」 という点では 大満足。

 

ちなみに 私の家族は 両親の家庭内別居状態が私が中学に上がって間もなく始まると、次第に家族のメンバーが各々の家族としての役割を果たさない、まとまりがない、一緒に過ごしていると楽しくない家庭になってしまった。

 

それでも 良いほうへと変える努力も、新たな(心穏やかに生きられる)人生にかけるでもなく、常に不平不満が絶えず 家の中はぐちゃぐちゃ ごちゃごちゃ というのが常になった。

 

なので、 かしこまって 世間一般の幸せな家族のみんながしているように 記念写真などを撮ろうとしたり、 家族全員で外食しようとか、そういった家族の絆はもうとっくにない。

 

未婚で子供を産んで、実家で両親と息子と暮らしています。  と聞けば、 じいじ ばあば はお孫さんをかわいがってくれるでしょう?   と うらやましがられることが多いけれど、   現実は

父は自分の生活ペースが乱れるのを病的に嫌うため、同居とはいえ (早朝4時に起きだしてゴソゴソ活動したかと思えば 日中は自室にこもって昼寝かテレビ、昼食は11時というズレた時間に取り、また自室へ。夕方4時を過ぎるとまだ外も明るいというのに一人で晩酌をはじめ、夕飯を済ませ5時30分には自室へこもる) 生活のリズムが違いすぎて、食事を一緒にすることはない。 

 

母は 朝 用事がないときは 9時を過ぎても寝ている。  やっと起きだしてもたいていはだらだらとTVの前で過ごし、自分の朝食を簡単に用意し、のんびり過ごす。

 

もう 家族で食卓を囲むという機会が 本当にないのである。

 

ダイニングキッチンのテーブルも、母が散らかし放題な状態なので、古い新聞、広告、ごみ、ダイレクトメール、筆箱、などなど とにかく散らかっていて、椅子もベンチと2脚の木製の素敵なものがテーブルとせっとになってるのに、 洋服が積んであったり、座布団が乱雑に置かれていたり、椅子が引けないほどに散らかった部屋そのもので、とてもそこでゆったり おいしい食事を楽しめない空間になっている。

 

対面のキッチンで、おしゃれにカウンターまでついた作りになってるのに、カウンターも ごみや常備薬や書類が乱雑に散らかっていて、コーヒーカップの一つさえ置けないくらい散らかっている。

 

その中でひたすらテレビを見ている母は、 どこか異常なのではないかと 最近思えて仕方ない。   整理整頓が苦手 とかいうレベルではないくらいの散らかしよう。

 

母が専業主婦だったのに、 家事をきちんとこなせなかった という過去と、現在のこのごみ屋敷状態の母のスペース を考えると、無性に腹が立って仕方がない。

 

話は大きくずれてしまったけれど、 ある時 食事が それぞれみんなバラバラであるってことを友人に話したら 「え~!!! さみしいね~~~!!」 とかわいそうがられたけれど、  家族で食事しないことが 悲しいという感覚がある彼女は 幸せな家庭に育ったのだろうな と思った。

 

家族が崩壊している場合、 一緒に時間を過ごすことが全員にとって苦痛、もしくはなんらかのストレスを感じる状態になるので、  今の私は 別々の食事は 平和である。

 

記念写真は 満足の結果だったけれど、 反省点も。

縦に撮ったり 横に撮ったり、 もちろん背景や写真の構成でベストを尽くしたものの。。。   すべてのシーンで縦横の両方をとればよかった。

 

後日 コンビニで4枚の写真を1枚のプリントにしたかった時に、不便だった。

これからは 必ず横 も 縦 も撮っていこうと思う。