別れの予感
昨日突然飛び込んできたニュースは「ちょと、本当に?嫌だ。。。」と落ち込ませられるものだった。
母の姉の旦那さん、私にとってはおじさんが、検査入院したというもの。
もう年齢的にも高齢で、考えたくはなくても心の片隅にやっぱりどうしても そう遠くはない未来に別れが来てしまう可能性の恐怖みたいな思いが 私にはあったけれど。
おじさんは、ヒステリックな昭和初期生まれで、戦争を体験している人で、よく昔の話を聞かせてくれた。戦時中に小学生だったおじさんは、焼け野原から生活をたてなおした時間を子供時代に過ごしていた人で、その過酷さをよく話してくれた。
一方的に話すし、話していないと死んじゃうみたいな人で、私の母なんかはよく逃げるようにおじさんが自宅に来ると外出していた。
私は、おじさんが 一方的に話そうが、同じ話を何度もしようが、病的に我は我はと話そうが、おじさんの優しい一面に触れることがうれしくて、会えることを嬉しく思っていた。
おじさんは、私の祖父が病に倒れたとき、下の世話を難なくこなし、(おじさんにとっては血のつながりはない義理の父だった私の祖父でも。) こういうことは どうってことはないんだ。「子供のおむつを替えてきた俺にいわせたら 手に汚物が触れたって なんにも汚か~ねえんだ!」 と大きな声で明るく言い放ってしまえる頼もしい存在だった。
血のつながりはない私のこともかわいがってくれて、見守ってきてくれた。
私の息子を自分の孫のようにかわいがってくれて、よく自分の孫の名前で呼んじゃって、「間違えちゃったな、おらは孫を生まれた時以来見てないからな。もう中学生だ、あいつも。 びっくりしちゃうよ。」 と よく言っていた。
おじさんに2人孫がいるけれど、長男がおじさんを受け入れきれなくて、お嫁さんはおじさんおばさんを寄せ付けたくない人で、疎遠だったから、会いたくても会えない孫への想いに私は勝手に心を寄せていた。
数年前には おじさんの長男、つまりは私のいとこに それこそ一方的に手紙を出した。しかもカナダから。。。『おじさんは孫に会いたいと思ってさみしいはずだよ。 息子さん、娘さんだって、無償の愛情を与えてくれるおじいちゃん おばあちゃんに会えないなんて、かわいそうだと思う。 おばさんは、結婚式の時 泣きながら 「 家族が増えて うれしい 」って言っていたの。今は かわいい孫に会えなくって さみしい って言って泣いているかもね。 』 といった内容で、お願いだから気が付いてって思って。
いとこがおじさんにうんざりするのも、わからなくはない。 いろいろ大変だと思うし、過去の許しがたい出来事もあったかもしれない。 でも、病的なおじさんがもっている深い愛情と、病的にならざるを得なかった過去の悲しい出来事などなど、私くらいに距離がある存在が見ていたら おじさんに寛大な心でもって対応できることもある。
こんな手紙送りやがって!!! と怒ってもいいから、忙しいのはわかるけれど、おじさんを 子供たちにとって 知らない人間で終わらせないで!
そんな 生意気な終わり方の手紙を 送った。
手紙が効いたかどうかは知らないけれど、1度は孫たちに会えた おじさん。
中学生になる孫に お祝いを渡せた
と、話してくれた。
きっと、孫たちは 知らないけど おじいちゃん おばあちゃんに会いに行って、おじいちゃんはよくしゃべっていたな。。。
そのくらいの思い出かもしれない。
いとこには、「めんどくさい1日だったし、やっぱり嫌いだわ、もう無いわ。」だったかもしれない。
それでも、おばさんは 実際に大きくなった 会えなかった孫と過ごせた時間は宝物になっているはずだし、おじさんだって 感慨深かったはず。
私は、会せてくれて ありがとう と思っている。
いとこは、結婚したら お嫁さんの力によって ものすごい壁を私たちとの間に作ってしまって、今までのようには会えない存在に変わった。(結婚前でも忙しくてなかなか会えなかったけど、壁の存在は 明らかに拒絶を示していた。 年賀状で毎年家族写真付きが届くくらいしか交流がなく、新居もお嫁さんの実家の至近距離に建てられていたりして。。。。。ありがちだけど。わかるけど。)
祖父が 末期の肝臓がんで動けなくなった時、いとこが忙しい中、 さすがにお見舞いに来た時のこと。当時祖父にとっては初ひ孫となる いとこの子供が存在していたけれど、もちろん会せてもらえないまま、時間は流れ祖父は動くことも話すことさえ苦しくなっていた。
枕元で手を握り 言葉につまっていた いとこに、 祖父は震える手で お祝いの のし袋を手渡した。
「え、、、 いいよ、こんな。。」
困った顔をするいとこに 私の母が
「あんたにじゃ ないんだよ。 OOOO(ひ孫の名前)にって渡しているんだから!」
と 話すことが苦しい祖父に代って 受け取ることを促した。
お前の嫁、どうしようもねーな
と、私の中の 「ズバリ言うわよ(古い)」 な悪い私が 心の中だけで毒を吐く。
なんとも言えない顔で お祝いを受け取るいとこを 私はただただ無言でみていた。
もう息も絶え絶えで、それでも ひ孫にお祝いを渡したかったじいじ。会せてもらえなかったのにね。。。。。
この 出来事で、私の中で いろいろなことが変わった気がする。
日本は、死が目の前まで来るか、死ぬかしないと、家族と会えない国なんだ。
仕事で忙しくて、家族は2の次でないと、だめな国なんだ。。。
いろいろ 言い訳して 疎遠にしていた人々が、葬式となると悲劇のヒロインになって
「ごめんね~~~~」
とか、いろいろ後悔を見せる現実が、許せなかった。
最期のお別れにしか来れないんだったら、来なくていいから。
これ、私の遺言。
なんか、そんないろいろをぐるぐる考えている。。。。。。
おじさんは、パワフルな人!
「いや~~、参ったな! 今回はさすがに参った!!」
とか 大きな声で一方的に大声で話しながら、家に遊びに来てくれるはず。来てくれ。
そんで、もう一方的に話しまくって、自分が帰りたい時間になったら
「もうこんな時間か? おい、帰るぞ!!!」
といつもの調子でおばさんをせかして帰宅して!
私もいつものように、聞き上手になって、楽しい時間を過ごすから。