子供が泣くまで痛みを与える 義理の兄

これはアメリカやカナダでは虐待になるのでは?と思える行為。

 

息子が姉の娘と遊んでいておもちゃの取り合いがヒートアップし、お互い手が出る足が出るのけんかになったとき、姉の旦那がふざけ半分のようなのりで息子に両手のげんこつでこめかみをぐりぐりするという行動をした。  息子は最初は鬼ごっこのようなノリで逃げてあおむけに寝転がっていた姿勢できゃ~きゃ~笑っていたけれど、しまいには痛くて泣き出した。

 

私はキッチンで調理していて身動きがとれず、喧嘩の仲裁も おしおきまがいの攻撃も止められなかったけれど、私の母もすぐ側にいて、姉も居て、そういう場面で起きた出来事だった。

 

まだ3歳になりたてと3歳になっていないちびっ子に対して、泣くまで痛みを与えるというのは、一体どういう精神なんだろうか??

そろそろ話せば分かる年頃、(でも ”No!!” の一点張りは続くことが多い反抗期でもあるが。。。)  寝る前に、 あの時は大変だったねってお話をすれば

ばあばがすごく心配していた。

と言えてしまうほど、人の感情にだって敏感な2歳である。

姉は 「痛がるまでやるんじゃないよ!!」 とあきれた様子だけれど、危機感は無い様子。

怖がらせることで、子供をコントロールしようとしてしまう傾向あるのかもしれない。

 

そんな行為は子供の心をむやみに臆病にしてしまいそうでおっかない。

姉の旦那だからなかなか文句も言いにくいけれど、もしも私の旦那がそうしたら、一緒に暮らせないな思ってしまう。

 

私自身も昭和の時代に昭和の戦争を知らない子供と呼ばれて育った世代の両親に、それなりのお仕置きを受けながら育ってきたけれど、

押入れに閉じ込める

家の外のドラム缶の上に一人で置いて置かれる(しかも夜)

パンツもなしのお尻をぺんぺんされる

おっかないおじさんが来るぞ!!と言葉で脅される

といった、どれも実は親が加減をしていて身の安全は保たれてはいた、しつけとしての体罰、おしおきも、いまでもひたすら恐怖を感じたという気持ちしか残っていないのが子供だった私である。何が親を怒らせたのかなど、記憶に無い。

 

おしりぺんぺんに至っては、性的な要素は親側にはなかったはずではあるけれど、子供だった私だって 屈辱的に恥ずかしくって心は傷ついていた。はずかしい思いをさせられたという心の傷。。。  でも、恥ずかしかったゆえに、何も言えなくなってしまうのが私だった。肉親というのはその距離が近い上にかえって心を閉ざしてしまうこともある。  特に性に関しては、友達とは話せても親には言えないよってことがたっくさんある。

 

私が自分の両親の育て方の中で味わった苦痛を、反面教師とし、自分の子供や周りの子供たちを、思いやりと愛情をもって心を豊かに育ててあげたい。  そのためには私もまだまだ勉強が足りていないけれど。

カナダの大人はちびっこの癇癪やハイパーなテンションに、とっても寛大だったように思える、「子供が騒ぐのはあたりまえじゃん」みたいな。

日本はなかなか厳しい。公共の場で子供がぐずると焦らなくてはならない親のストレスはなかなかなものだと思う。

みんな程度の差はあっても通る道のはずなのにね。

善悪や道徳心を教えることは大切だけど、暴力でもって押さえつけるというのは間違っている!!!  根気をもって向き合う心の余裕が親には大事だと思う。

 

今日、スーパーで息子がカートを押して走り大福のテーブルを倒してしまったときに側にいたおば様(私の親の世代)が、

「あら、大変!  大丈夫よ、一緒に片付けましょうね。」

と 笑顔で息子に声をかけてくれて、追いついた私の側で一緒になってお店の方々の手もかりながら手伝ってくれた。

お店の方々にひたすら謝る私。息子にも「ごめんなさいするの。」と言っても「NO!!!!」 と反抗しかされなかったけれど、、、危ないからと説教していた私に

 

「良かったわよ!大福が箱から飛び出さなくって!!」

と肩をすくめて笑っくれてから去っていったおば様。

流石だわ。  だって彼女はたしか 幼稚園か保育園で教頭先生をしていた人。 小学生の頃 同級生だった友達のお母さん。  年月を経ても覚えているお顔だった。

よっぽど名乗りでて、同級生の近況なども聞きたいくらいだったけれど、ばたばたしていてそれどころではなく。

次に見かけたらお礼しながら声をかけよう。

スーパーの皆さんも、お怪我が無かったならいいんです。と、とってもあたたかくて、救われた。  大福は 必要なかったけれど申し訳なくて 2パック購入。

 

スーパーでカートを押したがるのはいいが 私がカートに触れて危険を回避しようとすることに激怒する息子。。。どうしたらいいものか。。。。。